オリンピックに1回でも出場するのも大変な中、4回も出場した小平奈緒選手。「Kodaira」と名付けられた新種のユリがあるのはご存じでしょうか?お花の名前になる小平奈緒選手はどんな人物なのでしょうか。?
1 オランダ大使館から「Kodaira」と名付けられた新種のユリがある!
2 小平奈緒選手のターニングポイント
3 小平奈緒選手のまとめ
スポンサード・リンク(sponsored Link)
1 オランダ大使館から「Kodaira」と名付けられた新種のユリがある!
小平奈緒選手のことを調べていくうちに「Kodaira」と名付けられた新種のユリがある!という情報を得ました。オレンジ色のユリのお花です。
スポーツ選手とユリ?しかも「Kodaira」という名前まで付けられています。いったいどういういきさつから新種ユリに名前がつけられたのでしょうか?
ここには、小平奈緒選手のスポーツの顔とは違う一面が見えるかもしれません。
まずはオリンピックの成績を見てみましょう。
初出場24歳 バンクーバー五輪(2010年)→ 団体追い抜き銀メダル
2回目28歳 ソチ五輪(2014年)→500m5位、1000m13位
オランダ二年間の留学
3回目32歳 平昌五輪(2018年)→500m金メダル、1000m銀メダル
4回目36歳 北京五輪(2022年)→メダル受賞ならず
ソチ五輪終了後なぜオランダ留学をしたのでしょうか?オリンピックの成績を見るとわかりますね。
初出場24歳のバンクーバー五輪の時に団体戦で銀メダルを獲得しました。しかし2回目ソチ五輪ではメダルには届かず不本意な成績でした。
そこで小平奈緒選手は2014年ソチ五輪の後、スピードスケートの強豪国であるオランダに2年間留学をしました。
オランダ留学後の2018年平昌五輪で500m金メダル、1000m銀メダルを獲得しました。オランダ留学は小平奈緒選手をメダル獲得へ導いたのです!オランダ留学がきっかけで世界のトツプアスリートに躍進したのです!
駐日オランダ大使館は小平選手の業績を讃え、新種のゆりに「kodaira」と名付けました。「多くの人々の心をあたたかくし、前に進む勇気を届けてくれる存在になることを願っている」というメッセージが添えられていました。
オランダ留学後はオランダメディアのインタビューにオランダ語で対応できるほどの語学の実力でした。小平奈緒選手は文武両道なことがわかりますね。
小平奈緒選手は独特の言い回しから「氷上の詩人」と称されていました。北京オリンピック競技直前のツイッターにも投稿された文章がありました。
「いよいよ北京五輪開幕です。しばし全ての情報から距離を取り、虎視眈々モードに入ります」#全集中 #Beijing #Speed Skating #やり遂げる
(2022年2月4日北京五輪直前のTwitter)
スポンサード・リンク(sponsored Link)
2 小平奈緒選手のターニングポイント
オランダ留学は小平奈緒選手にとっての人生におけるターニングポイントの一つです。経歴を調べていたら又一つターニングポイントを発見しました。
それはなんでしょうか?小平奈緒選手のお人柄がわかる選択でした。まずは主な経歴を抜粋してみます。
小平奈緒選手は1986年5月26日生まれ 長野県茅野市出身 165cm60Kg 現在結婚はされていません。
【スピードスケートとの出会い】
小学校5年生の時、長野五輪(1998年)で8位入賞した三宮恵利子選手にあこがれました。サインがほしくて「出待ち」していたほどの熱狂的だったそうです。選手になってからもアドバイスを受けているそうですよ。
【大学までのスピードスケート受賞歴】
『中学2年生』→全日本ジュニアで史上初の中学生王者
『高校時代』→スケート部はなく同好会で活動インターハイで500m、1000mの二冠獲得、全日本ジュニアで優勝
『信州大学教育学部』→全日本スピードスケート距離別選手権大会(1000m,1500m)で優勝。大学からは履修への特別配慮はなく単位を取得しています。
【大学卒業後の進路】
卒業後は相澤病院スポーツ障害予防治療センターでスタッフとして勤務
実力があるにもかかわらず、練習環境が整った実業団の誘いを辞退しました。
ここがターニングポイントです!どうして実業団の誘いを辞退したのでしょうか?
小平奈緒選手は地元長野県でプレーしたいという強い希望がありました。
すでに引退した浅田真央選手(フィギュアスケート)や福原愛選手(卓球)、現役の高梨沙羅選手(スキージャンプ)は多数のスポンサー契約で収入が多く華やかな印象が持たれます。
そんなことはどこ吹く風でわが道を小平奈緒選手は進みました。実業団の練習環境は良いはずです!しかし同じ環境でも小平奈緒選手は地元長野県の馴染みがある土地、人々を選びました。自らの意思を貫く強い精神力の持ち主であることが、ターニングポイントの選び方一つでよく表れていると感じます。
強く思いを貫くことは容易なことではないでしょう。
スポンサード・リンク(sponsored Link)
3 小平奈緒選手のまとめ
24歳で初のオリンピック出場を果たし、現在35歳。20代の頃と比べれば体力減退は想像できます。又、常にトレーニングの連続の毎日、精神力の強化と約12年間モチベーションを保つのは容易なことではありません。
実業団のお誘いを辞退する一面を持つ小平奈緒選手は、自分を活かせる環境が何であるか、自分自身をよく知るお人柄のように思います。地元を拠点にする姿もあたたかみを感じます。
自分を知ることは強さにも繋がる行為です。相澤病院で社会人として働くことで人々の力添えをしている安定感もあります。
オランダ留学で培ったパワーはメダル獲得をもたらしただけでなく、オランダとの友好関係を築きました。どこにいても期待され、好かれる様子が「kodaira」と名付けたられた新種のユリからもよくわかります。
小平奈緒選手は小学校5年生でスピードスケートと出会い、中学、高校、大学、もスピードスケートと向き合ってきました。オリンピックに12年間かかわりメダルを受賞していることからも、堅実で努力家なお人柄であることもわかりました。
北京オリンピックではメダルには手が届きませんでしたが、しっかり自分のペースを保つことが出来る賢い女性という事が調べてみて感じました。どんな環境でも小平選手ならTwitterどおり#やり遂げるでしょう。
2022年4月12日、小平奈緒選手は今年の10月で現役引退を発表しました。長い間、たくさんの人に夢と希望を与えてくれた小平奈緒選手、心からお疲れさまでした。