こんにちわ、ルオです!『マリー・ローランサンとモード』展が京都市京セラ美術館で開催しています。日本で人気のあるローランサンの作品はどんな特徴があるのでしょうか?作品を生み出すローランサンの人生も気になりますね!調べてみました。
ルオの美術紀行(ART Trip)④『マリーローランサン』
目次
1マリーローランサンの描く女性像
2波乱な人生
3マリーローランサンのまとめ
1マリーローランサンの描く女性像
マリー・ローランサンは、20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家です。
ローランサンが描く女性たちはドレスを身にまとい、帽子、スカーフ、髪飾り、アクセサリーを付けています。
とてもオシャレでファッショナブルですね。女性のポーズもエレガントです。
小物の演出も得意です。
お花を手に持ち、犬や鳥などの動物も登場します。
日常を感じさせ、ほっとさせる要素が満載ですね!優美なフォルムにうっとりします。
ローランサンは絵画だけでなく舞台美術も手掛けました。装飾の世界でも華々しく活躍します。
1923年には、ロシア・バレエ団の創始者セルゲイ・ディアギレフ率いる「バレエ・リュス」のバレエ「牝鹿」の衣装と舞台美術を担当しました。
表現の原点は何だったのでしょうか?
一つあげられるのにはローランサンの母親です。婦人服の裁縫と刺繍を生業としていました。
小さいころから母の傍らで母が作る衣服をみてきたのでしょう。
この体験はローランサンの美意識に影響があったのではないでしょうか。
ローランサンが描く絵画は優しさに溢れています。
どんな特徴があるのでしょうか?
グレーをベースにした柔らかい色調はローランサンならではのスタイルの一つです。
ローランサンの生誕100周年にあたる1983年に『マリー・ローランサン美術館』(長野県茅野市の蓼科湖畔)が開館しました。
ここは世界でも唯一のローランサン専門の美術館でした。
平安時代から「かさねの色目」を好んできた日本人は中間色に惹かれます。
「かさねの色目」とは日本の宮中で重ね着する着物の色の取り合わせです。自然界の色の移り変わりを取り入れ100種類を超える配色パターンがあります。
パステル調の優しい色彩は日本人好みです。
『マリー・ローランサン美術館』の収蔵点数は500点余りでした。1983年~2011年まで開館しましたが、東日本大震災が起きた2011年に残念ながら閉館となりました。
現在はコレクションは展示公開してませんが、貸出だけを行う団体として存続しています。
情報発信もフェイスブックで続けています。
日本にたくさんのマリーローランサンの作品があると思うと嬉しいですよね!
マリーローランサンの絵画は淡く透明感のある色調です。どのように作られているのでしょうか?
ローランサンはカンバスにグレーの絵具で下塗りを施しています。その上に他の色の絵具をごく薄く重ねていきます。
下塗りのグレーは肉眼では見えにくいです。
そのひと手間の下塗りのグレーの効果で、上に載った絵具の色が落ち着き、透明感が出ます。
見えない下塗りのグレーの絵具がポイントなのですね!
下塗りのグレー以外にも作品の中には明度が違う色調のグレーが多く使われています。
色調の違うグレーを使い分けながら、ピンク、青、緑、黄色、赤がバランスよく配されます。
晩年は色彩のバリエーションを増え、画面がどんどん明るくなっていきます。
展覧会で、グレーの色調や色の使い方を見るだけで描かれた年代が予測できます!
そういう視点で鑑賞して観るのもお勧めです。
『マリー・ローランサンとモード』展
京都市京セラ美術館
2023年4月16日-2023年6月11日
時間 10:00~18:00(最終入場17:30まで)
休館日 月曜日
一般 2000円(1800円)
大高生 1500円(1300円)
小中生 700円(500円)
2 波乱な人生
マリー・ローランサン(Marie Laurencin)は1883年10月31日にパリ10区で私生児として生まれます。父が誰なのか長い間知らずに育ちます。
ローランサンは小さい時から母1人に育てられました。
美意識が高かったローランサンは画家を志します。アカデミー・アンベールで絵を勉強しました。
ここでジョルジュ・ブラックと知り合いキュビスムの影響を受けました。
キュビスムとはどんな特徴があるのでしょうか?
キュビスムは、20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始されます。
それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収めた特徴があります。
ローランサンはモンマルトルにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)という安アトリエで、パブロ・ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合います。
アポリネールと出会った時、彼は27歳、ローランサンは22歳でした。二人は恋に落ちました。
その様子を画家のアンリ・ルソーが「詩人に霊感を与えるミューズ」(ギヨーム・アポリネールと彼のミューズであるローランサン)1909年で描いています。
しかし、二人は破局します。ローランサンがアポリネールに愛想をつかしたようです。
色々な体験をバネにしながら制作に励みます。
そして1907年、ローランサン24歳の時「サロン・ド・アンデパンダン」に初出展し、作家として羽ばたいていきます。
1912年29歳には「サロン・ドートンヌ」室内装飾の総合展示「立体派の家(メゾン・キュビスト)」に作品《立体派の家のための飾り絵》を出品します。
同年開いたローランサンにとって初の個展は評判となり、その後、次第にキュビスムから脱していきます。
精力的に活動していきました。
それが実を結び、ローランサンが30歳になる頃にはエコール・ド・パリの新進画家として知られるようになります。
同年に第一次世界大戦が始まると、ドイツ国籍となったローランサンは、マドリード、次にバルセロナへの亡命生活を余儀なくさます。
戦後、1920年37歳で離婚して単身パリに戻ります。
フランス史上狂乱の時代(Les Années Folles)と称された1920年代に売れっ子画家となりました。
パリの上流婦人の間ではローランサンに肖像画を注文することが流行になりました。
今回の展覧会『マリー・ローランサンとモード』展で取り上げられているファッションデザイナーのココ・シャネルはマリー・ローランサンと同じ1883年生まれです。
二人は同じ時代を歩んだのですね!ローランサンはシャネルの肖像を描いています。
二人が活躍した1920年代はふたつの世界大戦に挟まれ、けっして楽な時代ではありません。
ローランサンは戦争という社会状況に振り回されながら、亡命、結婚、離婚、など私生活では波乱な人生を歩みます。
作風は柔らかいですが、狂乱な時代をローランサンはたくましく生き抜いた女性です。
殺伐とした時代だからこそ、ローランサンの作品は人々から求められていったのではないでしょうか!
ローランサンは1956年にパリで心臓発作のため72歳の生涯をとじました。
3マリーローランサンのまとめ
『マリー・ローランサンとモード』展が京都市京セラ美術館で開催されます。
マリー・ローランサンは、20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家です。
グレーをベースにした柔らかい色調はローランサンならではのスタイルの一つです。グレーやパステル調の淡い色調は日本人好みではないでしょうか。
ローランサンが生きた時代は、戦争という社会状況に振り回されます。ローランサンも亡命などを経験し、波乱の人生を歩みました。
たくましく生き抜いたローランサンは、独自の作風を確立し1920年の狂乱の時代の中、売れっ子作家となります。
まだ知らない世界を知るとワクワクさせられます。
なにか一つの視点をもって美術鑑賞すると、いつもより深く作品に触れ合うことが出来ます。
作家が何を考えどんな思いで作品を描いたのか、手助けになると嬉しいです。
良かったらマリーローランサンの作品をご覧くださいね!
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