海外でも人気者!ヒット作連発!歌川国芳(浮世絵師)が楽しくなる絵の見方!

こんにちわ、ルオです!江戸時代後期の浮世絵師歌川国芳うたがわくによし」をご紹介します。役者絵、身の毛もよだつ怪物(モンスター)とスーパーヒーローの戦い、幕府に抵抗した作品、ユーモアあふれる戯画,猫など幅広いジャンルを手掛けます。ヒット作を連発し、江戸時代末期の人々はもちろん今も海外で人気です!一本の筆から生み出されるパワーをお伝えします。

目次

1歌川国芳(うたがわくによし)、どんな人?

2特徴は何?

3歌川国芳のまとめ

歌川国芳「其のまま地口猫飼好五十三疋」
1848年(みんなの知識より)




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1歌川国芳(うたがわくによし)、どんな人?

アートの町、倉敷(岡山県)に、歌川国芳の作品だけを収集した『UKIYO‐E KURASHIKI国芳館』があります。

倉敷の美観地区から浮世絵の魅力を世界に向けて発信しています。

歌川国芳「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」
1820年代(UKIYO‐E KURASHIKI国芳館より)

海外でも人気がある歌川国芳(1797-1861)はどんな人物だったのでしょうか?

1797年東京の(本銀町)の染物屋に生まれます。

幼いころから絵がうまく、15歳で歌川豊国(うたがわとよくに)の門下となります。

長い下積み時代を送ります。最初は全く売れなかったそうです。

その様子がわかる国芳は23歳頃の貴重な資料があります。それは何でしょうか?

「浮世絵師番付」(文化十年作者画工番付け)です。

「浮世絵師番付」(ARTISTIANより)

ぎょうじの一人は有名な葛飾北斎です。

歌川国芳は前頭二十七枚目でした。番付としてはかなり低い位置ですよね!

この事実を突き付けられた国芳は、奮起します。

そして31歳の時、ヒット作が完成しました。

それが「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」(つうぞくすいこでんごうけつひゃくはちにん」のシリーズです。

「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズは中国の伝奇時代小説「水滸伝」を題材にしてます。

この作品で一躍脚光を浴び、「武者絵の国芳」と呼ばれるほどの人気絵師となりました。

江戸っこの心をつかんだのですね!




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2 特徴は何?

歌川国芳の作品の特徴は何でしょうか?

「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズでは大胆な構図、カラフルな色使いが見られます。

特に構図は画面いっぱいにキャラクターを描いているので迫力満点です。

そこに小説内の複数の場面を独自に組み合わせることで画面を構成しています

日本の絵画は昔から描きたい題材を上手く配置してきれいにみせたり、迫力をだす手法が使われていました。

リアルな表現で特撮映画を先取するような新しい浮世絵の可能性を切り開いたことは特徴の一つです!

清盛入道布引滝遊覧 悪源太義平霊討難波次郎
天保元年(1830)(UKIYO‐E KURASHIKI国芳館より)

光の入れ方も特徴的で躍動感が増します。漫画を感じさせますね!

同じ時代を生きた歌川広重の作品と比べてみても国芳の特徴がわかります。

例えば「雨」の表現です。

歌川広重の作品「大はしあたけの夕立」の雨は繊細で情緒と品があります。

一方、歌川国芳「暑中の夕立」を見ると土砂降り、集中豪雨の雨です!

歌川広重「大はしあたけの夕立」(文化遺産オンラインより)
歌川国芳「暑中の夕立」(文化遺産オンラインより)

日本橋を描いても広重の作品『東海道五十三次 日本橋朝之景』は晴れ晴れ爽快です。

国芳の『本朝名橋之内江都日本橋略図』は人で橋が壊れそうな勢いです。

国芳は過剰なまでの表現力を追及したのですね!

国芳の生きた時代は老中水野忠邦による「天保の改革」がありました。

時のスーパースター市川團十郎は江戸十里四方へ所払いされ、芝居小屋も移動を余儀なくされました。

浮世絵などの庶民の娯楽が幕府により制限されたのです。

そんな中で、歌川国芳は幕府から浮世絵に描くことを禁止された内容を「見立て絵」として描くことで規制をかわしていきます。

歌川国芳「源頼光公館土蜘作妖怪図」
(1842-1843)(UKIYO‐E KURASHIKI国芳館より)

国芳は風刺画を落書きっぽく書いたり、作品を一見みたらよくわからないけど謎解きすると描かれた意味がわかる、というような手法で大江戸コンプライアンスに挑みます。

江戸っ子は謎解きに夢中になり、さらに人気が爆発します。

庶民の心の憂さを晴らしたのですね!




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3歌川国芳のまとめ

江戸時代後期の浮世絵師「歌川国芳うたがわくによし」は海外でも人気の絵師です。

ブレイクのきっかけとなったのは武者絵の「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズです。

国芳は勇敢な武者絵だけでなく、ユーモラスな戯画や風刺画も数多く描き江戸っ子の心を掴みました。。

大胆な構図、過剰なまでの表現力、演出を加え空想的な光景は国芳ワールドですね。

国芳は大の好きでした。猫を題材にした作品も数多く描いています。

歌川国芳「其のまま地口猫飼好五十三疋」
1848年(みんなの知識より)

江戸日本橋から京までの「東海道五十三次」の各宿場の名称を、猫の様々な仕草や表情などで表現した絵解きの作品もあります。

駄洒落が面白いですね。

歌川国芳にはたくさんのお弟子さんがいました。国芳のお人柄の一面がわかります。

1861年63歳で亡くなるまで独自の世界を切り開き、独創的な作品は現代のクリエイターにも影響を与え続けています。

国芳のバックグランドを知ることで作品鑑賞が楽しめると嬉しいです!




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