世界で活躍するアーティストを育てるためBMSG起業、自ら社長に就任したSKY-HIの日高光啓(ひだかみつひろ)さん、「晴れるまで踊ろう」のエッセイが出版されました。「AAA、SKY-HI、社長」とそれぞれの立場から社会に強いメッセージを送り続けています。エッセイでは心の葛藤が素直に書かれています。日高光啓さんの今をお伝えします。
目次
1 Mr.Childrenから学んだこと
2 夢を現実にする日高流方法
3 違和感からのスタート
4 SKY-HIの日高光啓さんのまとめ
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1 Mr.Childrenから学んだこと
SKY-HIとMr.Children?不思議な組み合わせですね。一体どういうことでしょうか?
まずは日高光啓さんの経歴をダイジェストで見てみましょう!
1986年12月12日千葉県市川市出身。パイロットの父とCAの母との間に生まれる。
1997年10歳 小学校5年生国語で全国模試1位になる。
1999年12歳 早稲田実業入学。ドラムをはじめる。バンドの掛け持ちは多い時で7つ。
2002年15歳 起業意識の開花。Avexに履歴書を送る。
2005年18歳 AAAでデビュー、SKY-HIとして活動スタート。
2020年32歳 新会社BMSG設立。社長に就任。
2022年35歳 SKY-HIとBMSGの社長を兼務して多忙な日々を過ごしている。
Mr.Children?はどこに?
小学校5年生で全国模試1位になりました。教科は国語です。Mr.Childrenがいなかったら取ってないと日高さんは振り返ります。
いったいどういうことでしょうか?
Mr.Childrenの社会を風刺した歌詞が小学校5年生の日高さんの心に刺さりました。
「everybody goes 」(1994年12月12日リリース=日高さんの誕生日も12月12日!)はMr.Childrenのヒット曲の一つです。「複雑に混ん絡がった社会だ。組織の中で、ガンバレ、サラリーマン、知識と教養と名刺を武器にあなたが支える明日の日本」
努力が報われない社会や世の中への皮肉を表現している歌詞ですね。10歳の少年の日高さんにとってニュースの話はピンときませんでした。しかしこの「everybody goes 」の歌詞がきっかけでサラリーマンの24時間を想像することができたそうです。
そのことは今後の日常生活にも繋がりました。
今に繋がる大切なこと、それは「人の空白を想像する」ようになったことです。
例えばAさんを見た時、自分と接しているAさん、自分が知らない一面のAさんがある、というように空白をとらえる考え方に変化しました。それが10歳の時です!
日高さんはMr.Childrenの歌詞に衝撃を受けた後どうしたのでしょうか?
色々な音楽を吸収し続けました。
音楽で好きなアーティストの型にハマっていくと、そこでインプットされた影響を削ぎ落すのは難しいく個性がなくなっていくのでは?という危惧がありました。
ではどうするかというと?
何かを表現するならとにかくインプットを増やした方がいいとの日高流の結論でした。
分母をめちゃくちゃ増やす!というイメージだそうです。そうすれば個性は埋もれていかないということですね。
Mr.Childrenの歌詞がきっかけでSKY-HIの成り立ちの一面を見たような気がしますね。
そして18歳でAAAでデビュー、SKY-HIとして音楽界にデビューしました。
*Mr.Childrenの話はエッセイでは触れず音楽番組に出演した時に話していた内容です。
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2 夢を現実にする日高流方法
SKY-HIと社長の兼務の日高さん、どちらも全速力で力を注いでいます。いったいどのような方法や考え方で動いているのでしょうか?
そこには2つの考え方がありました。
それはなんでしょうか?
①「未来決定」の考え方
まず「ソロでラッパとして活動したい」「30歳で日本武道館に立ちたい」「会社を設立したい」と考えます。
日高流言葉では「未来目標」ではなく「未来決定」です。
これは目標へ到達するまでの道のりをイメージしてより細かく分解して計画することです。コツはしつこくやり続けることだそうです。
SKY-HIを例にとってみましょう。
日高さんが「ラッパーとして30歳でソロ・アーティストとして日本武道館のステージに立つ」という目標を決めたのが19歳の時です。
そこから曲数、曲調、プロデュース依頼、などの具体的なことから、日本武道館当日のスケジュールまで想像力を働かせイメージします。
全部がうまくいかなくてもやっていきます。因数分解したところから現実的に目標に向かい、日高さん自身はこの繰り返しでここまできましたと語っています。
細かいところまで想像して逆算させることで気づきがあるのですね!なるほど納得です。
②セルフヒーローインタビュー
そしてもう一つのポイントがありました。
それはセルフヒーローインタビューです。自分から自分へのヒーローインタビューです。
これは子供時代から行っていました。
例えば
「ご自身としてはどうして曲がヒットしたと思いますか?その要因は?」と基本的な問いから始まって、そこからもっと深いところまで攻め込んでいくインタビューをします。
その問いに自分が答えることで、自分の考えをまとめる癖があるようです。そうやって自分を探っていくそうです。
人に聞かれると自分の気持ちを説明しなければなりません。だから自分の考えがまとまってくるのですね。
今度から取り入れてみたいと思いました!
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3 違和感からのスタート
エッセイ本の導入部は「はみ出し者の居場所」です。どういうことでしょうか?
日高さんはデビュー当時、音楽業界の居心地が悪いと語っています。日本の音楽業界のあり方に疑問を持ち、社会全体の流れを変えていきたいと考え、2020年新会社BMSG設立しました。BMSGは自分の考えを会社で思う存分発信できるプラットフォームなんですね。
社名のBMSGは「Be Myself Group」を略したものです。「才能を殺さないために」がBMSGのスローガンの元となっています。
エッセイでは
「異物だと感じている自分ではあるけど、もっと居心地のいい環境で存分に音楽をやりたい、それを実現するための環境。そういうものを自分で作ろうと思ったのです」
「晴れるまで踊ろう」より
と書かれています。
話は少しそれますが、このブログでご紹介した辻仁成さんもは2016年ウェブマガジンのもとDesign Storiesが設立し辻先生が編集長を務めています。Design Storiesは辻さんが活動しやすくする為に作ったプラットホームです。
根本の考え方は同じように感じました。
日高さんの設立した会社BMSG、その第一歩は何だったのでしょうか?
会社を設立して日高さんが渾身の力をこめてお行った事業とは?気になりませんか?
それはボーイズグループを発掘する「THE FIRST」を立ち上げました。そしてオーディションを企画しました。
夢にきらめいていたボーイズのドキュメンタリーです。オーディションをやるならこの様子をテレビ番組にしたいと考えました。
テレビで放映されたのでご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。
合格、不合格の場合もそのあとのボーイズ達の人生は続いていきます。そこまで考えてプロデュースしなければと強く考えました。サバイバル的、バラエティ的、視聴者投票で合格者が決まる、というスタイルは避けたいという意向が日高さんにはありました。
交渉は難航しました。結局日高さんは自腹で撮影をしてオーディション番組を放送しました。
当時「SKY-HIが自腹で1億円出費した」というニュースが話題になりましたね。
日高さんには勝算がありました。ボーイズたちの本気の生きざまは脚本や演出に負けないと確信していました。
「みんなで成長しよう!」を武器に、THE FIRSTは単純に才能を発掘するだけのオーディション番組にとどまらず、日高社長の思い通りに進みました。
「日本は遅れています」と日高さんは言い切っています。「個性やクリエイティブを持っている子供たちの居場所がないくらいだから。日本のエンターテイメント業界はそういう人たちの個性を奪ってしまっているとさえ感じることがあります」
「晴れるまで踊ろう」より
とエッセイには書かれています。
日高さんにとっての理想のボーイズグループ像なんでしょうか?
「クリエイティブファースト」「クオリティファースト」「アーティシズムファースト」そこに尽きるそうです。
オーディション番組が最初に一歩です。そこからBE:FIRSTが生まれました。2022年2月の段階でBMSGに所属しているのはNovelCore、AileTheShota,edhiiiboi,そして日高さんSKY-HIです。
韓国ではKーPOPが世界へ飛び出し、BTSの世界への影響力は多大です。いつか日本も日高さんが育てているボーイズグループが世界へ発信しはじめる日がくるのではないでしょうか。
日高さんはその日までSKY-HIとBMSGの社長の両方を見せることを今は大切にしています。
知名度がある日高さんがマスコミに出演して考えを述べることは、自然に環境が整ってくる第一歩ではないでしょうか!
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4 SKY-HIの日高光啓さんのまとめ
18歳でAAAとしてデビュー、SKY-HIとして活動スタートした日高さんは15歳の時に描いていた起業するという夢を見事叶えました。
現在32歳の日高さんはSKY-HIとBMSGの社長の両方を兼務して多忙な日々を送っています。
新会社BMSG設立、社長に就任した時の最初の仕事は「二度とSKY-HIを生み出さないためのオーディション番組」の企画でした。
それは日高さんの日本の音楽業界への違和感から発する考え方でした。
社長業では「人前で褒める」ということを大切にしているそうです。そして最終的にはBMSGアーティスト全員でメーセージ性のあるライブをやるのを目標にしています。
今年36歳の日高さんはちょうど人生の半分をヒップホップの言葉の精神性を伝えつづけています。
「晴れるまで踊ろう」8枚写真撮影ルオ
「そのままの自分を愛する」「そのままの自分を褒める」「そのままの自分のファンになる」それが、やがて本物の自信へと発展する、というメーセージは勇気づけられますね。
自分のことを大事に出来る人々が多ければ、自然に相手のことも大事に思う心が育まれ、世の中幸せにあふれてきますね!
日高さんの手腕の元、日本の音楽業界も世界へ発信していく日も近いのではないかとエッセイを読んで感じました。
社長業と歌手、二つの仕事を同時にこなす日高さんは忙しい日々を過ごしていると思います。でも今後も日高流メッセージを出し続けてほしいですね。今後の活躍が楽しみです!
日高さんの今をお伝えしました。
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