ドライブマイカー濱口竜介監督、6割出来たら上々の考え方で夢をつかむ行動と人柄

  • 2022年2月13日
  • 2023年12月15日
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「6割出来たらいいと思う。その6割の幅がどんどん大きくなっていく」と語る濱口監督。夢をつかむコツは何か、村上春樹さんの作品をアカデミー賞国際長編映画賞受賞に押し上げた監督はどんな行動力がありどんな人柄なのかをピックアップしてみました。

1 社会が苦難の時の行動からわかる人柄
2 幼少時代の影響
3 「6割出来たら上々」東大時代に培った考え方の土台
4 濱口竜介監督のまとめ

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1 社会が苦難の時の行動からわかる人柄

私たちの生活の基盤を根底から変えてしまう出来事を思い浮かべると2011年東日本大震災、2019年から続くコロナ禍があります。

身近な人を亡くす人々、生活が困窮して日々の暮らしもままならない人など影響ははかりしれません。

こういう状況の中濱口監督は何を考えどう行動されていたのでしょうか?

【2011年東日本大震災】
もちろん映画を撮られていました。

酒井耕作監督と一緒に『東北記録映画三部作』「なみのおと」「なみのこえ」「うたうひと」を手掛けました。これは「東日本大震災」後の東北地方の人々からなるインタビューでまとめられています。

『東北記録映画三部作』
「なみのおと」「なみのこえ」「うたうひと」(出町座より)

震災、津波、原発による人と人との関係性の亀裂を日本のどこにでもある普遍的な問題として捉えています。悲劇的な出来事を見る者へ希望を持たせている明るさがある作品に仕上がっています。

東日本大震災から10年がたちました。もちろん忘れるわけではありませんが、日々のニュースの中で取り上げられる回数は激減しています。

そんな時インタビュー形式の『東北記録映画三部作』を見ると当時の現状がよみがえってきます。今、インタビューを受けた人々は10年の間にどういう生き方をしているのかなと思いを寄せます。

時間がたったからこそ価値がある『東北記録映画三部作』ではないでしょうか。2011年直後はインタビューされる方も撮影する方も困難があったことは想像できます。

そんな中でも映画監督としての役割をきちんと果たしている濱口監督の行動がありました!

  震災前の宮城県松島(撮影ルオ)

【コロナ禍 全国の小規模映画館の支援金を集める】

濱口監督は全国小規模映画館の支援金「ミニシアターエイド基金」と称しサイトを立ち上げました。
3億円を上回る資金が集まったそうです。

どういう考え方からの行動だったのでしょか?

「ミニシアターエイド基金」の呼びかけ
(映画ナタリーより)

コロナ禍で儲かった業種もありますが、打撃をうけた企業は数知れません。

ミニシアターも休館を余儀なくされ閉館に追い込まれる状況もありました。それを見ていた濱口監督は救いの手を差し伸べました。

「何か動かないといけない!」と衝動的に思ったそうです。映画ハッピアワーのスタッフに呼びかけました。

「何かしら余裕のある人が相対的に明らかに余裕のない人やどうにも動きようがない人のために社会全体で動いたほうがよいだろうと思いました」

ミニシアターエイド基金HPより)

とコメントされています。

社会が苦難の時だからこそ、自分が何が出来るのか考えすぐに行動できる姿は人に希望と勇気を与えます。濱口監督はいつも人に対する優しい視線を持っていると感じました。

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2 幼少時代の影響

濱口監督は1978年12月16日生まれ、現在43歳です。ご家族は両親と2つ年上の兄の4人家族です。

父親の仕事関係で2年ごとの転勤が余儀なくされた小学校、中学校時代でした。濱口監督にとって転校は当たり前になっていました。

転勤先は神奈川、大阪、茨木、新潟、岐阜、イランテヘランなど多数でした。すぐに場所が変わるので「全国どこに行っても変わらないようなもの」という考え方をしていました。

すぐ引っ越すので友達を作って遊ぶというより漫画、ゲームが生活の中心でした。

友達が出来てもすぐ引っ越しがあり別れがまっています。そういう現実を子供なりに受け入れて自分が快適に過ごす方法をみつけだしていたのですね。このあたりも濱口監督の考え方に多少なりとも影響があったのではないでしょうか。

父、兄が東大出身でした。家の雰囲気はもう東大は当たり前だったのでしょう。濱口監督も東大に進学するとなんとなく思っていたそうです。

高知県の祖父と濱口監督(高知新聞より)

判断の基準は「イヤでないことを選ぶ」だそうです。

引っ越しが多いので環境に適応するためのやり方を子供なりにちゃんと見つけていた様子がわかりました。

小学校からずーと同じ土地に拠点をおいた過ごし方と引っ越しが多い環境、どちらが良いということはありませんが、濱口監督の考え方には多少なりとも影響したのではないでしょうか。

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3 6割出来たら上々」 東大時代に培った考え方の土台

『ドライブマイカー』ではどんな演出方法があったのでしょうか?

「イタリア式本読み」という演出方法を取り入れていました。

「イタリア式本読みは」感情を入れずに本読み(台本)を行います。映画の中のシーンでも行っていたのでイメージがつかめますね。

実際もこの方法を取り入れました。「イタリア式本読み」は昔あったやり方です。今はほとんど使われていないそうです。

濱口監督はそれを現代にアップデートしながら取り入れました。

どんな効果があったのでしょうか?

本番で初めて感情をこめると、よく知っているのに初めて秘密を見せてくれるように感じて感動しました

主演の西島秀俊さんより(A-studio出演)

こんな手法はどこで学んだのでしょうか?

濱口監督は東大の【美学芸術研究室】出身です。

ここを選んだのは、自分の興味のフォーカスが基本的にほぼ映画だけに向いていくと感じがしたからです。

ここではどのように映画と関わりを持つことができるのでしょうか

映画に対してアカデミックなアプローチ、映画にたずさわる人々の居ずまい、その奥には何があるのかという基本的なこと、そしてさらに空間や状況を奥深く観ることまで考えます。

卒論では自主的に映画ゼミを開くことも可能です。そこで映画の仕事につく学生もフォローアップしてもらえる場所でした。

ここで濱口監督は濃厚な時間を過ごしたようですね!こんな映画を作ってみたいという夢や、自由な発想もはぐくまれたのではないでしょうか?

すでに映画人生が始まっていました!映画監督としての出発点ですね。

『ドライブマイカー』では俳優さんに「ちょっとでも嫌なことがあったらすぐ言ってください。すぐとめます」と声掛けしていました。(A-studio出演の西島秀俊さんより)

【たくさんの映画に出会い考えたこと】

濱口監督は大学時代にたくさんの映画をみました。中でも心が動かされたされた映画はなにか気になりませんか?

「人が生きるってこんなにもポテンシャルがあるんだとカサヴェテスの映画を観て理解したというか。それは本当に現実を捉えて作られたものであり、現実の中にそういう可能性があるということだからすごく力付けられますよね」

(東京大学文学部インタビューより)

とコメントしています。カサヴェテスの映画で現実の厳しさを映像にすることから映画への可能性を感じていたのかもしれません。

カサヴェテスの映画の作り方は濱口監督の作る映画の考え方に深く影響を与えた様子がコメントからわかります。カサヴェテスの映画も合わせて観ていくと映画を違った角度で見るきっかけになりますね。

濱口監督が東大時代に通った「美学芸術研究室」
(東京大学文学部インタビューより)
濱口監督が東大時代に影響を受けたジョン・カサヴェテス(東京大学文学部インタビューより)

【思い通りにはいかない考え方】

何をするのも壁にぶつかるのは人生です。その壁をどう乗り越えるか、人それぞれの考え方ややり方があります。濱口監督はどのような考え方をしていたのでしょうか?

「基本的に映画作りは現実を相手にする以上『思い通りにいかないものだ』という感覚があります。だから思い通りにいかないということを大前提としてやることはとても大事なことなのではないだろうか」と語っています。

(東京大学文学部インタビューより)

最初から思い通りにいかないというのを知っていれば、うまくいかない時の落ち込みも減るのではないでしょうか。なるほど、取り入れたい考え方でした。

【6割出来たら上々】

思い通りにいかないことを前提にした上で、次のステップに進むための濱口流の考え方を紹介してくれました。それはなんでしょうか?

「やってみる。6割出来たらいいと思う。その6割の幅がどんどん大きくなっていく。結果的には当初出来ないと思っていたことも出来るようになっている感覚があって。自分が必要以上に考えることのない人間で良かったな。少なくともそれによってここまで進んでくることが出来た、と思ってます。」

(東京大学文学部インタビューより)

映画に関わる人にとってはアカデミー賞国際長編映画賞受賞は最高の栄誉です。誰も最初の一歩から実現できるわけではありません。濱口監督は6割進み、さらに6割…と積み重ね、気が付いた時にはアメリカのアカデミー賞の舞台に立っていました。

濱口流考え方を続けるとだんだん目標達成が叶う気がしませんか?

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 濱口竜介監督のまとめ

ドライブマイカーは「心から愛する誰かを失ったとしても人生は続いていく。その人生は過酷だけれど、ほんのひとつまみの希望もないわけでない。」がテーマの一つです。


濱口監督は東日本大震災の直後「東北記録映画三部作」で東北地方の現実を撮影しました。ここでも人生は過酷だけど続いていきます。

コロナ禍でも先が見えない中、人生は続きます。経営不振に陥った全国小規模映画館の為「ミニシアターエイド基金」を立ち上げ支援を促進させました。

厳しい状況の中濱口監督が取った行動や人柄は「ほんのひとつまみの希望もないわけでない。」どおりでした。

何かの行動を起こせば困難は伴うかもしれないけど必ず何かが変わってきます。人生が続く以上人は希望を持っていくことが出来るためにも前に進んでいくしかありません。

そういう勇気を持つことが大事であるということを濱口監督から教えてもらいました。

(東京大学文学部インタビューより)

今年3月日本に「ドライブマイカー」がアカデミー賞の4部門にノミネートされたというビッグニュースが流れました。

続いて4月には「ドライブマイカー」アカデミー賞国際長編映画賞受賞と大きな偉業を成し遂げました!

そこには「6割出来たらいいと思う。その6割の幅がどんどん大きくなっていく。」という濱口監督の独特 の考え方がありました。行動力を徐々に広げていき日本の映画史に1ページを作りあげることに結び付いたのではないでしょうか。

現実を見つめることで極度に疲労せざるおえない状況でも、希望を持ち続けることの大切さ、あきらめなければ未来が開 けるという強いメッセージを濱口監督から受け取っているように感じました。

濱口監督が作る映画や行動は、これからも人々に希望を与えていくのでしょう。

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