こんにちわ、ルオです。まだ知らない世界を知るとワクワクしませんか?「ルオの美術紀行(ART Trip)」では、美術の世界の扉を開いてみたいと思います。ジャンルは日本や海外の作品、美術館、文化財の継承、物の見方などご紹介します。シリーズにしていきますので興味がある方は是非読んでくださいね!
1回目は「葛飾北斎の描く富士山」です。
目次
1葛飾北斎はどんな人?
2『凱風快晴』と『山下白雨』
3「葛飾北斎の描く富士山」のまとめ
1 葛飾北斎はどんな人?
葛飾北斎(かつしかほくさい)は江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。 1760(宝暦10)年、江戸本所割下水(東京都墨田区)に生まれました。
日本でも有名ですが、アメリカで発行された「LIFE」という雑誌の特集「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で日本人で唯一選出されました。。
海外でも有名人ですね!
北斎には面白い癖がありました。どんなことでしょうか?
生涯で90回以上引っ越しをしました!北斎は88歳で没しています。江戸時代は平均寿命50歳くらいなので北斎は長命です。
北斎の引っ越しの基準は絵に没頭し、部屋が散らかると引っ越しをしたそうです!1年に何回も江戸の町の中を動いていたのです。
片づけられない性分だったのでしょうか?(笑)
今でこそ日本の各家庭にはソファーや机が備え付けてあります。しかし江戸時代の庶民の暮らしを見ると必要最小限の物しか持ちませんでした。
なぜならひとたび火事が起きおたら消火するために家ごと倒すからです。だからすぐ逃げられるように自分で持てるものに限定されます。
非常にコンパクトです。ミニマルな暮らし方は何か人間のおごりを忘れさせてくれるような一面があるように感じています。
北斎の生活は非常にストイックでした。
食べ物や着るものにも無頓着で、とにかく絵に夢中になって生き続けた生涯でした。
それがわかるエピソードがあります。それは何でしょうか?
北斎にはたくさんの「画号」がありました。「画号」は現在で言うところのペンネームのようなものです。
19歳で役者絵師、勝川春章(かつかわしゅんしょう)に弟子入り、【勝川春朗(しゅんろう)】という画号を受け役者絵デビューします。
春章から離れたあとは【宗理】の画号(36歳~39歳)で活動します。
続いて【北斎】の画号(39歳~56歳くらい)、【戴斗(たいと)】の画号(56歳~60歳くらい)時代と続きます。
70歳を超えてからは【為一(いいつ)】、【卍】が北斎最後の画号となったようで74歳くらいから名乗っていました。(諸説あり)
名前を変える度に心機一転し、新たな取り組みをしました。
北斎存命中の作品数は3万点以上にもなると言われています。多様な画風の作品を多く残しています。
最後「天が私の命をあと5年延ばしてくれたら、私は真の絵描きになれただろう」という言葉を残してこの世を去ったと伝わります。
亡くなる直前まで創作意欲は絶えることがありませんでした。お陰で今、私たちは北斎の作品を見ることが出来るのですね!
2 『凱風快晴』と『山下白雨』
葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景』は1830年~32年(天保1年~3年)に描かれました。
北斎が70歳の時なので【為一(いいつ)】という画号ですね。
今回は『富嶽三十六景』の『凱風快晴』と『山下白雨』を取り上げてみたいと思います。1つ見方を知っておくと「なるほど~」と思えることも多いです。
『凱風快晴』は「赤富士」、『山下白雨』は「黒富士」と呼ばれています。ぱっとみただけでも色彩の使い方が違うので、同じ「富士山」でも違った印象に見えますね。
2つの作品は色彩だけではなく、山の稜線も違います。
『凱風快晴』はおだやかな傾斜、『山下白雨』はでこぼこ凸凹があり激しい線で描いています。
よく見ると山頂の描き方にも違いがあります。
富士山の頂は見る角度によって見え方が変わります。頂が3つは南 東から南西にかけて見える富士山の頂の特徴です
南西から北東にかけて富士山 の頂は4つから3つになり、再び東寄りになると一気に5つになります。
北斎は狂人的な体力で各所を周り、富士をあらゆる角度で切り取ったことがわかります。
季節や時間も作品からわかります!
『凱風快晴』はうろこ雲なので季節は「秋」です。又タイトルの「凱風」はやわらかな南風です。
『凱風快晴』は朝日に燃える富士を描いています。
一方、『山下白雨』は夏の入道雲です。「白雨」は夕方に降るにわか雨です。だから下に稲妻が描かれているのですね!
『凱風快晴』は柔らかな南風を感じながらおだやかな富士山を、一方『山下白雨』はどちらかというと激しい富士山の印象を受けます。
北斎は富士山の雄大さを違った表現を使うことで見る人に感じてとって欲しかったのではないのでしょうか。
では2つの作品の共通点はなんでしょうか?
画面の上下で違う世界が描かれている点です。『凱風快晴』の富士山は画面下が緑で上部が赤く、『山下白雨』は画面下が黒で上部が快晴です。
富士山は上に行くほど木が生えない「森林限界」で岩だらけになります。今の5合目あたりでしょうか。
草の生える世界は「俗」、岩が多い焼山の世界は死後の世界「聖」という考え方があります。
その「俗」と「聖」をつなぐのが「お中道(おちゅうどう)」です。「お中道」はあの世とこの世の境目なんですね。
江戸時代の人は北斎の描く富士山の境目から「お中道」を感じていたのでしょう。
ただ景色を描いていただけでなく、江戸時代に人々が富士山から受ける精神的な考え方を取り入れながら描いていたのです。
19世紀以後ジャポニズムがヨーロッパで広がり始めると、北斎の『富嶽三十六景』からインスピレーションを受けた芸術家の作品が生まれるようになります。
大胆な構図や日本独特の色遣いは魅力的です。世界に誇れる作品の見方を一つでも知っていると嬉しいですよね!
よかったら誰かに伝えて見てくださいね。
3 「葛飾北斎の富士山」のまとめ
「ルオの美術紀行(ART Trip)」では、日本や海外の作品、美術館、文化財の継承、物の見方などご紹介します。
第一回目は葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景』から「葛飾北斎の描く富士山」がテーマです。
『凱風快晴』『山下白雨』を取り上げてみました。北斎は山頂の形、山の稜線、季節、時間も描き方を変えています。
又、江戸時代に人々が持っている富士山に対しての考え方も取り入れていました。
北斎の作品の数々は、日本だけでなく海外の絵画に多大な影響を及ぼしました。
又、北斎は雅号を変える度に心機一転し、新たな取り組みをしました。
美術の世界の扉を開いてみると楽しみが増えますね!
すでに美術に詳しい方はたくさんいらっしゃると思いますが「ルオの美術紀行(ART Trip)」は敷居の低い、誰でも親しめることをモットーにしていきます。
シリーズ化にしていきますので興味がある方は是非読んでくださいね!
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